2017年4月18日火曜日

無題

伝える、ことが今世の課題で、だけども、今までできていなかったことが今の自分を形成しているのだろう。時間は戻らないが、感情は克服できる。ともあれ、すべて自分次第なのだと、ようやくわかりきったことを工面する。パッチワークのような山が笑っている。一定のリズムを半永久に刻み続ける自然の極意を遠目に見る。京都の春。

2017年4月9日日曜日

Forget it for get it.

言葉を思い出す。昨晩よしと君のハモニカと声を聴いた。なつかしさに胸が込み上げて、たった数年前のことを遠い遠い手の届かないもののように思い出す。今があるのは、過去があったからだ。加えて余白。未来への、余白。

2017年4月3日月曜日

音楽

指揮者でピアニスト。超絶技巧の中に安定した客観性。クラッシックとジャズの間に存在し得るもの。


2017年3月30日木曜日

深夜が近づくコーヒー店にて向き合ったそのひとから訊いた言葉に『貴き(とうとき)もの』を感じずにいられず、わたしは少なからずドキリとした。その日は暦の上でもっとも特別な日で、実態としては、人生でおそらく、一番、特別な日だった。日付を超えた瞬間共に聞いた時報、その音が妙にくすぐったく、夢の終わりを飾るにふさわしい音階だったと思う。わたしたちは扉から入ってきて出ていく、どこかの国の物語のようだった。現実と非現実の合間のような。

2017年3月23日木曜日

想う

爪を切って整えて明日に備える。なにを着ていくかはまだ決めていない。午後から美容院も予約したし準備はオーケー、ほんとうの夜を迎える頃には市内にはいないと思う。たましいが求める場所へ。

2017年3月11日土曜日

無題

今日、語られることは個人的なことであると善いなと思う。公である限り、世界は果てにある。お風呂に入りながら、文庫を50ページ進める。お風呂から上がって、『騎士団長殺し 第2部』を進める。ショパンの『チェロソナタ ト短調』を聴きながら。静かな夜。

2017年3月9日木曜日

ありがとうの日

京都で暮らしはじめて半年が過ぎてゆきました。それまで熱を帯びていた、あらゆることが日を追うごとに沈静化してゆき、物理的に遠くなったものをあらためてひとつひとつ確認してゆきました。それはつまり精神的にも同様に遠くなってゆくのでした。あたらしい出会いに恵まれました。今はそのことにこころから感謝をして日々を生きることをまっとうしています。当初、京都在住に関して「期間限定」とおそらく多くのひとにそう伝えていましたが、あたらしい出会いによって生かされていることで、まだしばらくはこの土地、エリアにて日々を過ごしてゆこうとすこし前に決めました。ともあれ半年が経過したことをここにお伝えいたします。

2017年3月3日金曜日

通過

雪どけ、春の足音、うららかな3月のはじまり、はじまり…という風情さとは裏腹に、目の前のたて続く事象の"雪どけ"にあっという間にペースを乱されて、ただいまわたしは雪の中。埋れている。寒い。寒いよー、誰か助けてー。わがままである。人生の後半はマイペースをつらぬくと決めたのは、あくまで自分自身にのみ通達したことなので、まわりの人々はそんなの知ったこっちゃないのである。電話もメールも本来苦手である。でも今時代はそんなの知ったこっちゃないのである。2017年3月を通過中。そんな時代だったのかと、こころの中のわたしがつぶやく。

2017年2月27日月曜日

弦月

昨晩は魚座の新月ということでした。誰の身にも受け入れやすい、わかりやすい言葉やしるしは世の中に多くあふれていて、わたしたちが時代を越えていつの日か雑食になったように、あらゆる感情や波動がわかりやすさに寄り添っている。その反面、不安定といわれる弦月に想いを重ねる意思はどこに向かうのだろう。福寿草が咲きはじめた。いよいよ、季節は春へ。

2017年2月25日土曜日

重なる

援軍や結社に属せなかったわたしは昨日、パリから京都へ旅行に来たというフランス人の若いカップルとお互いネイティブではない英語で会話をし、意識が、海を渡ったような気がするほどにとてもたのしかった。別れ際に、I enjoyed a conversation with you. と、握手をした。知ってる限りのフランス語でさよならをする。Merci beaucoup.Bon voyage! 会話をする。時間が流れる。ごはんを食べる。時間が流れる。音楽を聴く。時間が流れる。眠りにつく。時間が流れる。時間は今もこうやって流れ続ける。だから指折り数えるよりも、今すぐあなたに会いたい。あなたと会話をし、ごはんを食べ、音楽の話をして、眠りにつきたい。オリジナルでスタンダードな日々を。

2017年2月20日月曜日

あたらしい未来

「百年先で 待っていてね と 夢みたいに そう 想う この手の先には きみが」


2017年2月2日木曜日

昨日

なにもわからぬまま立春を迎えることに、異議なし。明日は明日で、明後日は明後日で、明明後日は明明後日で、なにも、明日だけに頼ることはなかろう。なにもわからないし、なにも知りたくない。ただ、臼と杵でついたお餅に黒豆を混ぜて乾燥させ、炭火で炙り醤油をたらりと垂らしていただいた焼き餅(煎餅)が、今までの人生で一番、衝撃的においしい煎餅だった。このまま死んでもいいと思った。そういう、目の前の感動に置いていかれないように生きていきたい。

2017年1月31日火曜日

ROCK

「似てない僕らは 細い糸でつながっている よくある赤いやつじゃなく」


2017年1月27日金曜日

2017/01/27 雑記

陶芸家とは、共有でなく、共存したいと考えている。この、熱苦しいわたしの想いを真摯に受け入れてくださった方、もしくは、以心伝心か気づけばすでに共存していた方、同じ屋根の下なんやかんやの方、等々、が、これからの永き人生のパートナーと成りうるのではないかと、愛の告白はなにも白馬の王子様的異性にだけに向けられるものではない。つまり、この世はたくさんの愛で満ちあふれている、のだと思う。

2017年1月26日木曜日

クラクション

「ずるい」と言うべきはずの瞬間に記憶を失くし、森に積もる水墨画のような雪とグレイッシュな空を見送り、チョコレイトをたらふく食べて、動悸の渦に身を潜める。ラッキーガールに、あのね、わたしも昨日はラッキーガールだったんだと告白をし、朝目覚めてから夜眠りつくまでのことをかいつまんでゆく。言うべきはずのセリフ、言ってはいけないセリフ、言いたかったセリフ。10年ぶりくらいに伸ばした髪は、伸ばした、というよりも、伸びた、がふさわしく、これから先のたのしみなどはない。ただ、つげの櫛で丹念に髪を梳かすことが日課である。

2017年1月25日水曜日

沈黙

言及させていただくと、わたしのこのインターネット上のものの何分の何かはフィクションであり、何分の何かはノンフィクションである。報告や連絡や相談、というより、書くこと、に重きを置いている、ただそんな風のような他愛もない事実と創造である。だから、驚くことなかれ、あなたはただ読むだけでいい、それでいい。この世界が甘ったるい限り、わたしは出合うものに虜になってゆく。甘い世界に微塵も興味を示さず、自分の内にゆく。そんな世界、いや、世間との距離を、言葉にする。そうでしか得られない快楽、触れることのできない身体、甘えることを受容しない時間と事象と距離。そして昨日右腕を強打した。腫れ上がる腕、痛い。

2017年1月23日月曜日

チェロソナタ ニ短調

チェリストのリサイタルに行く。先月に引き続き二度目である。プログラム一曲目に放たれた、ドビュッシーの最晩年に書かれた『チェロソナタ ニ短調』は、技巧的かつ多様なチェロの奏でによる、未だかつて耳にしたことのないような、ある種この世の果てを思わせるような曲で、家に戻ってから居ても立ってもいられぬ感情、それはつまり歓びを授かる。冒頭のピアノの旋律に絡むように立ち上がるチェロの響き。しばし瞬きを忘れて聴き入る。素晴しき曲との出会いに、幼き頃の自身を照らし合わせる。物心がつき始めた時分から、音楽を純粋に好んで生きてきた。奏者が居る限り、わたしの夢は果てない。大阪フィルチェロ首席の近藤浩志さん、ありがとうございます。


2017年1月20日金曜日

Don't worry, be happy.

野良猫のようにするりと入ってきて、するりと抜けていく。それはおそらくわたしのことだと考えていたけれど、あなたにとってわたしがそれだとするなら、わたしにとってあなたがそれ、だったのだ。別れに哀しみの感情を持ち込む前に、去ってゆくその姿を眺めていたい気分。

2017年1月19日木曜日

五線譜

愛のテーマ。鍵盤から滴るような音がうつくしい。Bill Evansはやはりピアノソロに限る。


2017年1月12日木曜日

2017/01/12 雑記其の二

行ったり来たりをかれこれ125回くらい繰り返している。もはや言葉が伝わらない。もはや道を見失った。それではまったく、Where am I? Who am I?である。そんな中、ラッキーガールは快活な言葉をわたしにくれ、太宰治は世の中に絶望していた。本屋を三軒はしごして本を四冊買った。今年は児玉清さんもビックリの読書量を目指す。

2017/01/12 雑記

『what happened is all good - 起こってしまったことはみんなよいことである』。同意、同意、なにをどう捉えても同意。「時はそのように流れる。むかしのことはあまり思い出さない。後悔というのはしたことがない。ああすればよかったとは絶対思わない。」すごくわかる。こういうことを考えていると、例えば人にとって娯楽とはいったいなんなのか、って考えちゃう。他愛もない楽しさ、嗜みのようなもの。なぜって?娯楽の要素がその掲題には馴染まないような気がしてね。