2017年1月31日火曜日

ROCK

「似てない僕らは 細い糸でつながっている よくある赤いやつじゃなく」


2017年1月27日金曜日

2017/01/27 雑記

陶芸家とは、共有でなく、共存したいと考えている。この、熱苦しいわたしの想いを真摯に受け入れてくださった方、もしくは、以心伝心か気づけばすでに共存していた方、同じ屋根の下なんやかんやの方、等々、が、これからの永き人生のパートナーと成りうるのではないかと、愛の告白はなにも白馬の王子様的異性にだけに向けられるものではない。つまり、この世はたくさんの愛で満ちあふれている、のだと思う。

2017年1月26日木曜日

クラクション

「ずるい」と言うべきはずの瞬間に記憶を失くし、森に積もる水墨画のような雪とグレイッシュな空を見送り、チョコレイトをたらふく食べて、動悸の渦に身を潜める。ラッキーガールに、あのね、わたしも昨日はラッキーガールだったんだと告白をし、朝目覚めてから夜眠りつくまでのことをかいつまんでゆく。言うべきはずのセリフ、言ってはいけないセリフ、言いたかったセリフ。10年ぶりくらいに伸ばした髪は、伸ばした、というよりも、伸びた、がふさわしく、これから先のたのしみなどはない。ただ、つげの櫛で丹念に髪を梳かすことが日課である。

2017年1月25日水曜日

沈黙

言及させていただくと、わたしのこのインターネット上のものの何分の何かはフィクションであり、何分の何かはノンフィクションである。報告や連絡や相談、というより、書くこと、に重きを置いている、ただそんな風のような他愛もない事実と創造である。だから、驚くことなかれ、あなたはただ読むだけでいい、それでいい。この世界が甘ったるい限り、わたしは出合うものに虜になってゆく。甘い世界に微塵も興味を示さず、自分の内にゆく。そんな世界、いや、世間との距離を、言葉にする。そうでしか得られない快楽、触れることのできない身体、甘えることを受容しない時間と事象と距離。そして昨日右腕を強打した。腫れ上がる腕、痛い。

2017年1月23日月曜日

チェロソナタ ニ短調

チェリストのリサイタルに行く。先月に引き続き二度目である。プログラム一曲目に放たれた、ドビュッシーの最晩年に書かれた『チェロソナタ ニ短調』は、技巧的かつ多様なチェロの奏でによる、未だかつて耳にしたことのないような、ある種この世の果てを思わせるような曲で、家に戻ってから居ても立ってもいられぬ感情、それはつまり歓びを授かる。冒頭のピアノの旋律に絡むように立ち上がるチェロの響き。しばし瞬きを忘れて聴き入る。素晴しき曲との出会いに、幼き頃の自身を照らし合わせる。物心がつき始めた時分から、音楽を純粋に好んで生きてきた。奏者が居る限り、わたしの夢は果てない。大阪フィルチェロ首席の近藤浩志さん、ありがとうございます。


2017年1月20日金曜日

Don't worry, be happy.

野良猫のようにするりと入ってきて、するりと抜けていく。それはおそらくわたしのことだと考えていたけれど、あなたにとってわたしがそれだとするなら、わたしにとってあなたがそれ、だったのだ。別れに哀しみの感情を持ち込む前に、去ってゆくその姿を眺めていたい気分。

2017年1月19日木曜日

五線譜

愛のテーマ。鍵盤から滴るような音がうつくしい。Bill Evansはやはりピアノソロに限る。


2017年1月12日木曜日

2017/01/12 雑記其の二

行ったり来たりをかれこれ125回くらい繰り返している。もはや言葉が伝わらない。もはや道を見失った。それではまったく、Where am I? Who am I?である。そんな中、ラッキーガールは快活な言葉をわたしにくれ、太宰治は世の中に絶望していた。本屋を三軒はしごして本を四冊買った。今年は児玉清さんもビックリの読書量を目指す。

2017/01/12 雑記

『what happened is all good - 起こってしまったことはみんなよいことである』。同意、同意、なにをどう捉えても同意。「時はそのように流れる。むかしのことはあまり思い出さない。後悔というのはしたことがない。ああすればよかったとは絶対思わない。」すごくわかる。こういうことを考えていると、例えば人にとって娯楽とはいったいなんなのか、って考えちゃう。他愛もない楽しさ、嗜みのようなもの。なぜって?娯楽の要素がその掲題には馴染まないような気がしてね。